能町みね子さん連載「かわりばえのする私」vol.3を@la farfaで先行公開!!

Illustrator / Takayuki kudo

かわりばえのする私 vol.3

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 駅から家まで帰る道を歩きながら、もう前を向く気にもならずに、ずっと足下のほんのちょっと先の地面だけを見ながら、「世の中、すべてうまくいかない」「こんな世界、明日滅びればいいのに」「いや今すぐ一瞬にして宇宙の全部が爆発して消し飛べばいいのに」「ていうか、自分なんて死ねばいいのに」「最初から自分なんていなかった世界ならよかった」「あーあ」「あーーあ!」という、ものすごく巨大で厄介な真っ黒い気持ちに支配される夜がよくありました。
 そんな夜の対処法は、私はずっと「寝る」くらいしかなくて。
 でも、寝るなんて言っても、こんなふうに頭の中が真っ黒にこんがらがってる時は寝るという作業に移ることすらできない。部屋のどこかを無表情で見つめながらひたすら少しだけ気持ちがマシになるまで待ったり、ちょっと泣いてみたりすることでどうにか自分の心の中の矛を収めてもらって、どうしようもない日を終えるしかありませんでした。
 いつだったか、こういう気持ちになったときに、ふと、なんでこんな暗い気持ちになってるんだっけ?と考えてみることにしました。
 きっかけが明確にある場合だったら、むしろその怒りとか落ち込みの原因についてずっと考えています。でも、「世界滅びろ」くらいしか考えられないくらい深い穴に落ちているときは、もう、そもそものきっかけを忘れているもんです。
 なんだっけ、なんでこんなにモヤモヤしてるんだっけな、と、その日の自分の行動をさかのぼってみる。さっき電車から降りた時はもうこんな感じだった。電車に乗る時ももう暗い気持ちだった。その前にはちょっとコンビニに寄って……、あ。
 前にあのコンビニで見て、今日買おうと思って楽しみにしてたアイスが売ってなかったからだ。
 本当にこういうことがあったんですよ。びっくりしたよ。
 私、大人なのに、アイスが買えなかった不満が「死にたい」までふくらんでた。
 めちゃくちゃくだらない小さな黒い点(アイスが買えなかった、とか)が心の中にボツッとできたとき、気持ちのリズムがどこか悪いと、それがすごい勢いでじわじわ体中をむしばむ。鉛筆の先っぽくらいの黒いのが、いつの間にかブラックホールになって何もかも吸い込む。そして、もう最初のきっかけが埋没するほど猛烈にでっかい負の気持ちになることがある。
世の中にはもっと重大な悩みがごろごろ転がっていて(当たり前だ)、こんなことから真っ黒い気持ちになるなんてあまりにも幼稚だと自分でも思うんです。でも、よく考えると、こういう心の動きって    「幼稚」どころか、3歳児くらいの気持ちそのもののような気がします。人間の根源的な感情。
 3歳児、すぐ泣くじゃん。たくさん持ってるお菓子の1個を落としたとか、親が忙しくてちょっとこっちを見てくれなかったとか、ごくごくわずかに自分の思いどおりにならなかっただけで、世界が壊れんばかりに泣く。大人になっても居残る心のブラックホールは、その頃の痕跡だと思うとちょっとだけ愛しくなります。まだ自分がそんなにも純粋なのかと思って少し笑えてきます。
そして、意外と人間って子供のままでも生きていけるもんだな、と思います。
 10代、20代の頃、周りには私どころじゃなくつらそうな人もいました。「アイスが買えなかった」どころじゃないストレスに苛まれて、リスカなんかしてる人だっていました。この子大丈夫かなあ、生き延びていけるんだろうか、なんて、そんなに親しくもないのに勝手な心配をしたこともありました。
 しかし、そんな子もふしぎなほど落ちついていく、というのは、年を取って知った良かったことの一つです。穏やかなパートナーを得て、意外とさらっと結婚して子供産んでたりする人もいます。それはもう、リスカしてるよりはずっといいことです。「時が解決する」なんて言葉は薄っぺらくて、若い時はまるで実のある言葉だと思えなかったけど、意外と芯食ってたのだ。絶対とは言えないけれど。
自己評価の低さに苦しむ10代20代には私も40代になることなんて考えられず、死にたいと思ったわけではないけれど、「たぶん死んじゃうだろうな、30になる前に」なんて思っていたのです。しかし、驚くほどにどんどん鈍くなり、40までのうのうと生き延びました。イケるもんなんだな、と思う一方で、じゃあとてもポジティブに明るく人生を歩めるようになったかというとそういうわけでもない。
 というのも、私は何日か前、髪の分け目がうまく決まらなくて。私は生え際につむじがあるから、生え際の毛の伸びる方向にくせがあって、しかもそこの毛があまり伸びないので、分け目からピンピン中途半端な毛が跳ねるんです。その毛先が目にかかってとてもウザくて、ああ、なんで前髪すらきれいに分かれてくれないんだろう、って思ってたらもう一時間後くらいには「世界が一瞬で滅亡しろ」って本気で思ってました。驚きですよ、まだこういうことがたまにあるんですよ。だからこんな原稿を書いてるんですよ、40代が。


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